スローでなければ育まれないこと
文化人類学者・環境活動家辻 信一 さん
大量生産と大量消費を繰り返し、そのための効率化と経済成長を優先する現代社会。このような社会に順応して生きていくために、私たちは時として自分を見失うほど疲弊したり、人生の本当の豊かさとは何か思い悩むこともあります。 経済的な豊かさは、これまで私たちの生活に様々な恩恵をもたらしてくれました。しかし、このような生活をいつまでも続けていくことは可能でしょうか?
全世界の人々が先進国並みの暮らしを営もうとすれば、地球が何個も必要という話も聞きます。実際に、かなり以前から化石燃料の枯渇が警告され、エネルギーの大量消費が取り返しのつかない自然破壊を招いてきました。
スローライフはゆっくり深いつながり
これから何世代も後の未来の子どもたちに、豊かな自然あふれる地球を残すためにはどうしたらよいか?文化人類学者の辻信一さんは、スロー(slow=ゆっくり)という一つの態度をずっと提案してきました。スローライフ(生活)、スローフード(食)、スロービジネス、スロータウン。人間の様々な営みにつけられた、スローという言葉。「ゆっくりでいいんだよ」と訴えるこの言葉には、根源的で大切な意味合いがあると、辻さんは言います。「スローとは、一言で言えば“つながり”なんです。人間同士、あるいは人間と自然の深い関係性が成り立つには、常に本質的に時間がかかる。お互いを信頼したり、愛を育むにはそれなりの時間が必要なことはわかるでしょう。それは簡単に合理化・効率化できないものです。
経済の原理に従えば、逆にそういう非効率こそ効率化されるべきものです。だから全てがよりファスト(first=速い)であることを目指していく。効率化によって経済効果は上がるけれど、それと反比例するように、僕たちの暮らしの質は損なわれていくでしょう」
ゆっくり深いつながりを持とうとする態度が、スローライフの根底にあります。少し抽象的なこの言葉の真意に近づくために、辻さんが渡米していた頃の話を紹介しましょう。
マイノリティに惹かれて
「僕は20代の頃から15年間、北米に住んでいました。当時は、日本での生活にあまり魅力を感じることができずに飛び出したんです。そこで一番惹かれたのは、いわゆるマイノリティと呼ばれる人たち。ワシントンDCの黒人街や東海岸の大都市に住む様々な少数民族。あちこちにたくさんの難民が集まっていました。カナダに住んでいた頃は、先住民・インディアンの存在が常に身近でした。」
マイノリティとは社会的少数者、差別や偏見にあった社会的弱者という意味の言葉です。辻さんはマイノリティのどこに惹かれていったのでしょうか?「そういう人たちがかわいそうだと思って、一緒にいたわけではありません。彼らを助けたいということよりも、自分自身がすごく心地良さを感じ、助けられている。僕自身の幸せと非常に密接に関係していて、いったいそれは何なのかと、ずっと問い続けていました」
貧しさを美化しているわけではない
このような発言に対して、「貧しさを美化している」「結局は上からの目線だ」という批判があります。しかし、辻さんはこう反論します。「通説では、最も抑圧されている者が最も疎外(本来の人間的本質を失うこと)されていると言われるけど、どうもそうではない気がします。先住民やマイノリティが立っている場所は、すでにシステムに巻き込まれている主流社会の我々とは次元が違うんじゃないか。もちろん彼らは社会的にはすごく抑圧されているんだけれども、僕らが見ている世界よりももっと広い世界にいて、実は最も疎外されていない人々なのではないかと思うんです」
現代社会に生きる私たちには見えていない次元に、マイノリティの人々がいるということでしょうか? カナダのクーリー族のリーダーが辻さんに言った言葉は、このことを考えるヒントになります。
最も偉大な遺産は足跡を残さなかったこと
「自分たちの祖先は、タージマハールやピラミッドは残さなかった。しかし、自分の祖先たちの最も偉大な遺産とは、そこに足跡一つ残さなかったことだ」
この言葉を、辻さんはこう説明します。「彼らの祖先は、自分が享受した自然の恵みを、豊かな姿のまま次の世代へ譲り渡していったんです。自然界が常に浄化された状態で残っていくように、そのような自然の仕組みの中で祖先たちは生きたのです。そのことを自分たちは何よりも誇りに思うと言っているんですね。
僕はこの話を聞いて愕然としました。僕らは普通、自分が生きた証として、永遠に残るお墓やモニュメントなどを作りたがりますよね。これは極言すれば、未来の世代が享受すべき資源を、現在の世代で使い果たして行くことにつながってしまう。その最大の負の遺産が原発とその廃棄物でしょ。
一方、クーリー族が残してきた遺産は、何千年という歴史の中ではぐくまれてきた偉大な知恵です。この知恵が、僕らに小さな希望を与えてくれるんじゃないかと思います」
木を切られれば自分が自分でなくなる
もう一つ、カナダ先住民のこんな話があります。「森林伐採に反対している先住民が、こう質問されました。『木を切られたからって、あなたの生命が危険にさらされるわけではない。それなのに、自分の体を賭してまで、なぜ森を守ろうとするのか?。『そして彼はこう答えます。『確かに木を切られても自分は生きているかもしれない。でも、切られてしまったら自分はただの人間になってしまうだろう。それは自分が自分でなくなるということだ』。つまり、森や海などの自然と自分は、切っても切り離せない存在だという感覚が、彼にはあります。自然と人間がつながっているわけです。
長い歴史の中で、そういう文化を今に引き継いできた人たちが、地球全体の環境危機の中で声を上げているのです」
非効率を抱きしめる
2人の先住民の話からは、スローライフという言葉の真意が見えてくるのではないでしょうか?「往々にして、抑圧や差別を受ける人へのニックネームは”ぐず”や”のろま”なんです。つまりスローですね。
なぜそうなってしまうかというと、彼らは合理的にいろいろ物事を効率化することを拒んできたからです。それは、ゆっくりでなければ育まれないことに、ずっとこだわってきたということ。だからスローなんです。
愛や自由を効率化できますか?できないでしょう。愛も自由も本質的にスローだからです。非効率を抱きしめてみてください。 スローライフというのは、僕らが幸せに生きていくためにはどうしても手放してはいけない時間があるという態度を表す言葉。それは人間にとって、とても根源的な態度なんです」
プロフィール
1952年東京都生まれ。文化人類学者・明治学院大学教授。 1988年米・コーネル大学で人類学の博士号取得。
「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人、NGOナマケモ ノ倶楽部世話人などを務める。6月に開校される「ゆっくり 小学校(スロースモールスクール)」校長。
主著に「スロー・イズ・ビューティフル」(平凡社)「『ゆっくり』 でいいんだよ」(ちくまプリマー新書)などがある。
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