あとぴナビ/スペシャルインタビュー 金澤翔子


金澤翔子さん

あとぴナビ2010年4月号より
取材・文/大石久恵 、撮影/橋詰芳房

 

金澤翔子さん

金澤翔子さんphoto

PROFILE
金澤翔子(小蘭)
1985年東京生まれ。母でもある金沢蘭鳳に師事し、5歳より書道を始める。10歳で「般若心経」を書く。14~17歳の間、日本学生書道文化連盟展で金賞、銀賞を毎年受賞。19歳で雅号、小蘭を取得。20歳で銀座書廊において個展「翔子 書の世界」を主催。以降、数々の個展を開催し、鎌倉建長寺や京都建仁寺へ書の奉納も行う。
金澤泰子(蘭鳳)
女流書家。学生時代より、短歌、能を学ぶ。1977年、書道「学書院」に入会し、柳田泰雲に師事。1985年、翔子誕生。1990年、翔子のために久が原書道教室を始める。1998年、書道「泰書會」に入会。柳田泰山に師事。著書に『愛にはじまる』(ビジネス社)、『天使の正体』(かまくら春秋社)がある。

 

ダウン症候群の金澤翔子さんは、二十歳のときに初の個展を開いて以来、多くの人に感動を与える書道家として活躍しています。翔子さんを支えるお母さまの泰子さんも、後進を指導するベテランの書道家です。「ダウン症の娘を授かり、かつては悲嘆にくれたこともありましたが、今は翔子が私の娘で幸せです」。金澤さん母娘がこれまで歩んできた道のりや、天衣無縫な翔子さんの魅力について、泰子さんに数々のエピソードを伺いました。

 

昨年秋、京都の名刹・建仁寺で、国宝「風神雷神図屏風」の隣に「風神雷神」の書が展示されました。書の作者は金澤翔子さん。ダウン症候群の女流書道家です。
「風神雷神図」といえば、江戸時代を代表する画家・俵屋宗達の最高傑作。屏風の右側に黒雲に乗って風を操る風神、左側に雷太鼓を打ち鳴らす雷神の姿が描かれ、天空を駆ける両神のダイナミックな構図で知られます。
この国宝に関する知識はなくとも、何の迷いもなく書きあげた、躍動感にあふれる翔子さんの作品は、奇しくも「風神雷神図」の構図と同じでした。
「風神と雷神の向きや余白が同じように書きあがったときは驚きました」。母・泰子さんをはじめ、周囲の人たちが息をのんだ瞬間でした。
 

出生、そして葛藤

翔子さんがこの世に生を受けたのは、泰子さんが42歳のとき。3回の流産を経ての待望の出産だったため、産後、医師から「知的障害があり、一生歩くことができないかもしれない」と告げられたときは、奈落の底に落とされた思いでした。
「将来に希望のない子を授かってしまった」「障害を持つ子がなぜ私の元へ?」と涙、涙の毎日。「周囲に迷惑をかけないよう、二人でどこかに消えてしまおうか」と、当時の日記には心の葛藤が綴られています。思いつめて、地震が来たらベランダから落としてしまおうか?と考えたことさえありました。
「でも、実際に地震が来たら『翔子!』と抱いて守ってしまったんです」。わが子を殺すことも、一緒に死ぬこともできない…。
「生きていくしかないんだ」と、泰子さんは思いとどまりました。「といっても、なかなか希望を持つことができず、『もしも神様がいるのなら、奇跡を起こしてほしい』『ダウン症が治るのなら私の命を差し出します』と、ひたすら祈りました」。翔子さんが3歳になるまでは葛藤が続いたのです。

 

転機

「以前、ダウン症で医師になった人がいるという話を聞いたんです。今思えば聞き間違えか何かだと思いますが、当時は光が見えた気がしました」。地震から本能的にわが子を守ったことで、強い母性に気づいた泰子さんは、少しの可能性にでもかけてみたいという思いでいっぱいでした。
その後は「この子にも何か可能性があるかもしれない」と、ピアノやスイミングなど、様々な経験をさせるようになります。
もともと書道の師範だった泰子さんは、5歳の翔子さんに書道も教え始めます。そして、10歳のときに親子で〈般若心経〉に挑戦し、書道に真剣に取り組み始めました。
大きな紙に升目を引き、一字一字厳しく指導。「そうじゃないでしょ?」「何回言えばわかるの!?」。母の厳しい言葉が飛ぶたびに、翔子さんは涙をぽろぽろとこぼしました。でも、一行書くたびに「ありがとうございました」と先生である母に頭を下げ、最後まで書き上げました。
「当時の翔子は、文字の骨格となる〈斜め右上がり〉と〈平行〉という概念を理解できませんでした。そこで母娘で坂を登っては下り、踏切でひたすら線路を見せて、体で覚えさせました」。今でも、右上がりの線を〈坂〉、平行に書くことを〈線路〉と呼ぶ翔子さん。翔子さんの躍動感あふれる文字には、母が懸命に寄り添い、身につけさせた書道の基本が生きています。

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信頼

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今では深い信頼関係で結ばれている金澤さん母娘。その信頼の根っこは、翔子さんの出生時の強運にあるといいます。
泰子さんは、当初大学病院で出産する予定でしたが、さまざまな偶然が重なって個人産院で出産し、妊娠中に羊水検査を受けることがありませんでした。
また、自然分娩を薦められましたが、帝王切開を選びました。「もしも大学病院に行ったら、羊水検査でダウン症とわかり妊娠を断念していたかもしれません。それに、自然分娩していたら、翔子は命を落としていた可能性が高いんです」。
「この子は、この世に生まれてきたくて生まれてきた子。だから『何があっても翔子は大丈夫』と信じられます」。泰子さんは翔子さんの可能性を広げるため、なるべく手を貸さずに自分でやらせます。
「ダウン症は何もできないと思われがちだけど、料理も掃除も教えて、買い物もできます。スーパーではレジの千の位を見て、千円札を1枚多く出しておつりをもらう術を心得ています。時計の読み方がわからなくても、好きなテレビ番組の時間はなぜかわかるの(笑)。彼女なりの方法で、生きる知恵を持っています」。
帰りが遅いと「迷子になったのでは?」と周囲が気をもむこともありますが、泰子さんは「大丈夫。帰ってくるわよ」と、動じません。お母さまがドーンと構えて、いつも笑顔でいることが、翔子さんの安心感となっているのです。
 

無垢

「ダウン症の子って、競争心も妬みも持たず、愛にあふれているんですよ」。翔子さんにとって、人に喜んでもらうことが自分の喜び。中でも「お母さま」に喜んでもらいたくて書道を続けています。
「彼女は『うまく書きたい』と計算せず、駆け引きのない無垢な心で書いています」。幼少期から体で覚えた文字の骨格。そこに天真爛漫で無垢な線が乗ったとき、周囲をハッとさせる奇跡が起こります。翔子さんには、たびたび書道の神様が舞い降りたのか?と、周囲を驚かせる瞬間があります。
「偶然といえば偶然ですが、私にはこんな字は書けないなと思う瞬間です。『翔子は魂の純度が高いんだなあ。それが字に表れているのかもしれない』と思いました」。1000人に1人といわれるダウン症は、染色体が人より1本多いがゆえに、知的障害もあるけれど、ひとつのことに取り組む集中力や周囲を和ませる資質を持っています。慈愛に満ちたまっすぐな心。これは、神様が与えてくれた1000人に1人の奇跡なのでしょう。

 

使命

結婚当初は「女の子が生まれたら日本一の書道家に」と考えていた泰子さん。それだけに、障害を持つ子を授かったときの落胆は大きなものでした。でも、翔子さんとともに歩むうちに「この子には、この子のよさがある」と肩の力が抜けていきました。「翔子は何をしてもビリでしたが、ビリにはビリの役割があるんです。学校の先生にも、『翔子ちゃんのいるクラスは雰囲気がやさしくなる』と言ってもらいました」。あるとき、泰子さんは友人から「お嬢さんには天が与えた才能がある。でも、それは天から与えられた役目があるということよ」と言われ、「これからはほめられて喜ぶばかりでなく、『人の役に立ちたい』と考えるようになりました」。
かつての自分が乳児期の翔子さんを泣きながら育ててしまったことを後悔しているだけに、「泣きながら育てないで!」「ダウン症の子はすごくいいものを持っているのよ」と、多くのお母さんたちに伝えていきたいと言います。
「これからは翔子の姿を多くの人たちに見てもらい、障害児のお母さんたちに希望を持ってもらえたらと思っています。それは私たち親子が天から授かった使命なのでしょう」。

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